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タバコ談義
返歌に返歌です(困ってます)。タバコ談義のことです。読み飛ばしてくださいませ。



>最初に仕掛けたのは ninotika さんですよね。それも「煙草を愛してる」と言っている人に対して、ケアレスミスではあったようだが、突っ込まれる題材を提供しています。

「仕掛けた」つもりはないのですが、最初にタバコについて取り上げた以上、責任を感じてコメントしました。突っ込み部分が「ハリーさんとタバコ」の記事のなかでいちばんマイナーな部分、いちばん、力を入れていなかった部分(実験結果とか統計結果とか)だったので(喫煙者の方はあんまりそういうものに時間をさかれても興味もないだろうと思っていたし)、正直「とほほ」という感じでした。ああいう実験結果とか統計結果とかはきちんと説明してあるものを読まなければいけないもので、そういうものは興味のある方はいくらでもネット上で拾って来れるので、ちゃちゃっとあえてインパクトのありそうな紹介のみにとどめて、あんまり長い説明にしないようにしたのですが、その部分へのつっこみは本筋からはずれているように私は感じたのです。

>傍目には、takepong さんの下記記述にカチンと来たのだな、と受け取れました。

takepongさん記事にまず驚いたのは、突っ込む場所です。そんなに実験結果、統計結果にご興味があるのなら、きちんとそういうものをご自分で調べてそのうえで批判するべきではないでしょうか。私のやっつけ仕事の「いくつかの実験結果のちょっとしたさわりの紹介」にわざわざ突っ込む必要はないのでは。正直にいうと、トラバ頂いた記事とは別のその前日の記事をなにげなくみたらそこにもなんだかあんまり本筋とは関係ない突っ込み(fordのことと有害な粒子のこと)が書いてあったのをたまたま見つけて、きっとそれがカチンときたきっかけになったんだと思います。記事にも書いたのですが、そういった実験のほうに興味のある方にはもっと詳しい情報(正確な情報)を提供できていたはずだからです。

>これを揚げ足取りと受け取るのは ninotika さんの勝手ですが、ワシには「なるほど、こういう見方もあるのだな」という程度であり、これぐらいで感情的になるのであれば、そもそもネット上での議論などやらない方がいいと思います。

私が言いたかったことからずいぶん外れている議論、だから揚げ足取り、といいました。そんなこと(実験の妥当性)を議論したかったんではない!という意味です。

>また、ワシが「滑稽」という言葉を使ったのはこのことを指した訳ではなく、リアルでの禁煙転向者からの過剰な口撃に基づく印象です。おそらく正論なのでしょうが、それを武器にして「それを言っちゃぁおしめぇよ」という所までエスカレートする人が多いのが不思議で、それは正に依存症によるものではないかと思っています。

ハリーさんの滑稽という表現を見た時なぜかanti-tobaccoさんとハリーさんのやりとりを思い出しました。そして真剣に悩んでらっしゃる方に「滑稽=笑っちゃうよ」という態度はただ良くないことだと思ったのです。anti-tobaccoさんに対してだけでなくリアルの世界でも、それは言えると思います。非喫煙者のタバコ談義がエスカレートするのは、非喫煙者が被害者になりうるからだと思います。だれでも自分を傷つけようとするものに対しては戦おうとする、それは依存症ではないと思います。

>ワシがまとめ記事の喫煙反対者および専門家の意見に対して一切反論しなかったのは、こういう反応になるのが嫌だったからなのです。

仮に反論されるとするなら、やはりもっと実験の内容をお聞きになってからではないでしょうか。あんな2、3行の文からでは何がなんだかわからない。実験内容を全部把握しているわけでもないのに、反論しようがない。「air pollution particle」ということも説明していないのに、です。しかもford車かford社かford者か、あの記事の中ではかなりどうでもいいことです(しかし、間違えてすみません、訂正、謝罪いたします)。

>なんかね、土俵が違うどころか、全く異なる競技で争おうとするような感じがするのです。しかも、こちらは「それぞれ好き嫌いでいいんじゃない?」と言ってるのに、無理矢理ルールを合わせろ、と強要される気がしてしまいます。

もともとそんなことで言い合いをしようなんて思ってもみなかったのです。科学だの実験の因果関係だの、そういったことです。takepongさんのところでそれが辛かった。実験の部分につっこまれた時点で、なんだかもう、本筋からずれていたし、「それぞれ好き嫌いでいいんじゃない?」だったら私もそれで返答することはなかったと思います。

>私はサイエンティストですので、証拠(エビデンス)をとることが当たり前です。
この事こそが、ワシにとって、そしておそらく takepong さん、そこへコメント・トラックバックをしている人達には一番の違和感なのだと思います。

これも説明難しいのですが、takepongさんが「なんだかんだと悪い証拠をだされても周りでは誰もタバコで死んだりしていない」という内容でお書きになったので、証拠は証拠だと、いいたかっただけです。そうでなければ、そんなことがいいたかったんではないです。これはなんというか、その場の流れでそう書かざるおえなかった、といっておきましょう。つまり、これはtakepongさんの記事に対してのみ適応されているのです。

>「そういう話をしてるんじゃないんだよ」って感じです。だから、こちらが受け入れないからと言って、次々に補強材料を出されても、説伏したいだけで会話する気が無いのじゃないか? と思ってしまいます。

そうですね、はっきりいってしまえば「そういう話をしてるんじゃないんだよ」って感じです。それは私のほうもそうでした。とにかく辛かった。ほんとにtakepongさんのところでなんかどうしてもうまく話ができなかったのです。なぜだかいろいろ原因はあるのでしょうが。最後にはなんとなく落ち着いたような締めくくりになったので、あー良かったと思っていたのに。

>きっとサイエンティストであればお分かりになるのではないかと思います。「客観」と「主観」の違いです。えっと…サイエンティスト同士で論文のネタについて話をしてるんでしたっけ? (こういうのを揚げ足取りと言いますね。すいません)

そんなことほんとしたくなかったんです。それなのにtakepongさんはどうして論文の批判をはじめてしまったんでしょうか。

>エビデンスのある客観でなければダメですか? (これは真面目な疑問)

そんなこと全然ないです。エビデンスのある客観的なことを話してくてタバコ企画をしたのではないです。みなさんの「主観的」なタバコに対する意見を聞きたかったんです。それとは全然関係のないことでtakepongさんからトラバをいただいてしまったので、証拠だなんだという話の展開になりましたが、そんなつもりは最初は一切なかったんです。

>エキブロ病院の新しいテーマにも関連しますが、専門家と一般ピープルのコミュニケーションでこういう風にやられたら、退いてしまうか抵抗するか、いずれにしても有意義な物は創っていけなくなると思います。

ええ、もうtakepongさんとのやりとりは大変でした。有意義だったのかどうかもわかりません。最善をつくしたつもりだったんですが、すごく難しかった。なんでうまくコミュニケーションがとれなかったのか自分でもわかりません。全員とこんなやりとりしていたらもうだめですね。確かに続きません。反省しなくてはいけないと思いますが、どうしてそうなってしまったのかがよくわからないので、もう少し頭を冷やさないといけないのかもしれません。

>だって、誰かの意見に「それは証拠がありますか?」といちいち訊いていたのでは議論にならないだろうし、そもそも証拠なんか無い事柄だらけで世の中は成り立っていると思いますし。

そうですね、証拠というか、世の中には「かなり明らかになっていること」と「明らかになっていないもの」とあるので、それは難しいことだと思います。ディベートの基本はまあどれだけ根拠のある事実を知っているかだとは思うのです。今回タバコのディベートを少し調べてみたのですが、debatabaseとうメジャーなサイトでは、タバコの害については「有害だという事実」のほうが多くてそのためディベートとしては成り立たなくなっている感じはありました。

>これについては同じく takepong さんの所へコメントした通り、脊髄反射のような応答の仕方、そして上で述べたように相手の意見を「揚げ足取り」とか「誤解」と決めつけ、ちゃんと読もうとしない姿勢を指摘したのであり、好き嫌いという感情について語ることを感情的とは言いません。

脊髄反射のような応答の仕方をしたつもりはないのですが、今流行の顔文字とか(笑)とか(爆)とか〜〜とかそういうニュアンスを和らげる言い方をしないとそうみえてしまうのかもしれませんね。でも顔文字とか苦手なので、すみません。文もうまくないし。きっと書き方ひとつで変わるんだとは思うんですが、回りくどいいい方よりはいいかとおもったりしながら、思いきって書いていました。

>「なぜ好きなのか」「なぜ嫌いなのか」を考えてみたかった、のであれば、takepong さんの最初の記事に対してタバコの害のエビデンス(と呼べるのか?)を示したのはどういう意味があるのでしょう?

「なぜ好きなのか」「なぜ嫌いなのか」を考えてみたかったのがはじまりのエキブロ病院トラバ企画だったはずなのに、takepongさんのところではそういう筋で話されていなかったからです。

>ひとは愛するひとなしに生きていくことは多分できませんが、タバコなしで生きていくことはできます。なのでタバコをひとに置き換えられても、納得できません。
これでは、「なぜ好きなのか」を理解しようとしているようには見えません。人や物を好きになるのにもエビデンスが無ければ受け入れられないのですか?

これは私個人の見方ですね。タバコに対して「愛」という言葉を使うのは、私個人的に抵抗がある、という意味です。というのはタバコへの「愛」が「中毒」である可能性があるからです。ひとを「愛」することは私は誰にとっても不可欠で、「愛」は美しいものだと思っています。それと一緒にできるのかどうか疑問だからです。死んでもいいからタバコをやめない、というタバコへの「愛」、それはほんとに「愛」なのか、それとも「中毒」なのか。そういう人にとっては生きることはタバコくらいの価値しかないのでしょうか。それは悲しいなあと。これはほんとにただの私個人の意見です。私はそんなタバコへの「愛」を納得したくない、という私の主張です。

>医師というものは社会のリーダーとして、人を教育する(とくに健康的教育)立場にあります。タバコが好き、嫌いで話しているのではないことをどうぞご理解ください。
無知な喫煙者を教育するのが目的なのですよね?

どうしてこんなことを書いてシマッタのか今になってみると思い出せないのですが、やはりこれもtakepongさんとのやりとりのなかでなんだかそう書かずにはいられなかった。喫煙者のなかにはその害について十分しらないひとがいると思います、というか私も日々勉強して追いついていかないといけない。そういう勉強も必要。そしてそれを還元するのも必要。だから、個人の趣味でtakepongさんのサイトをのっとっているわけではないと言いたかったんだと思うのですが、つじつまあってるかなあ。

>ただし、それを望んでいない人に無理矢理教えようとするのは教育とは言えないと思うし、相手の反論を「例外」と切り捨てるのも教育者としてはいかがなものか、と感じました。

望んでいない人に無理矢理は教えられませんが、takepongさんのところではいちおうお互い聞く耳は持っているはずですよねえ。確かに「例外」も切り捨ててはいけないと思います。ただそれが主流ではないのではないか、主流知らずに例外ばかり知っていても意味がないわけです。

>というように様々な考え方の人間が居るのが社会であり、うまくコミュニケーションを図れる人がリーダーになるのだと思います。

医師=リーダーではありませんが、健康においてはそうあるのが理想的です。うまくコミュニケーションを図れる人もその素質のひとつだと同意します。

>タバコ談義で過熱しすぎて、思いもよらずマイナスな意見を見たりしてちょっと不愉快な思いをちょうどしていたところです。タバコ談義はちょっとまだまだ殺気だってます。
ninotika さんは、過熱し、殺気立ち、不愉快な思いをしたようですが、ワシはお陰様でかなり「教育」して貰いましたよ。(これは揚げ足取りではなく)

takahashibss さんもおっしゃってましたが、タバコ談義は平行線になることが多い、ですね。ほんと。

>できれば ninotika さんも、このやり取りをマイナスと受け取らないで何かを学び取って貰えればいいなぁ、と願っています。

やり取りはプラスになる場合が多いと思いますが、ここそんなわけで、本音を言ってしまえば、平行線で終わるものになぜこんな膨大な時間をさいているのだろうと考えるとプラスばかりではない、と弱音です。

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>しかし、ワシは違う、と言っているのです。たとえ暴力よりも恐ろしい物だとしても、それを止めさせようとしたり、その為に別れるなんて考えません。ワシにとってはタバコなんかよりも夫婦や家族の方が大事だからです。

タバコよりも夫婦や家族のほうが大事です。それは本当です。anti-tobaccoさんもそうだから悩むのだと思います。

>だから、敢えてもう一度言います。バカらしいです。発想が。

私ももう一度いいます、バカらしくないと思います。
問題は夫が吸った煙草が妻に影響することです。それがなければ話はバカらしくなるかもしれませんが。言い換えれば、夫は妻を大切にしていないどころか、害を与えていることになるからです。もう少し言えば、私は、どんなことでも悩んでいるひとに、まず、ばからしい、とは言わないと思います。

>それと、上の喩え、蒸し返しになりますが、エビデンスに依存していない人間にいくらエビデンスを突き付けても無意味です。

それでもその「エビデンス」とやらは知っておくべきです。そうでないと盲目の中毒者になってしまいます。

>言葉の暴力という物もあります。正論であっても、使い方によってはタバコなんか比べ物にならないほどの強烈な傷を負わせることができます。

言葉の暴力はあります。それは私も分かります。傷を負わせようとして言っていたわけではありません。でもそうなることもあり得るのでしょう。もし傷を負わせていたなら謝ります。ほんとにそんなつもりはなかったのです。

>でも、ワシ自身が依存症と真摯に向き合う中で考えたこと、感じたことを正直に伝えたい、というのが本意ですので、受け止めて頂ければ幸いです。

ありがとうございます。ただtakepongさんとのやりとりについては、なんとも、ここでは説明しにくかったです。言い訳がましいですが、がんばって言い訳してみました。タバコ談義では最初から最後まで客観的でいたかったのですが、「愛」らへんから主観が混じってきましたね。仕方ないのかもしれません。私は、自分も喫煙者でしたから、本当はタバコ愛好家の声を無視することなく客観できる立場でいようと思っていたのですが、というかできると思っていたのですがそうではなかったようですね。ちょっと一服してみて、タバコがどうして好きだったのか再確認しなくてはいけないかな。
by ninotika | 2004-09-09 08:24 | WORKING


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