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ペット反対 続き
Bobbyさんからのコメントへの返信が長くなったので





>ペットの動物を捨てる = ペットにとって不幸 = ペットが可愛そう、という事を前提として議論しているようですが、ほんとうにそうなのでしょうか?人間に依存していた事は、野生化して生きてゆく為に、それほど問題にならないでしょう。家庭や飲食的から出る生ゴミがいくらでもあるのですから。生ゴミという言葉に、悪感情を抱きすぎていませんか?生ゴミは栄養豊富だし、毎晩のように補給されますし、人間(路上生活者)でさえ食料にしています。自然の野山に生きる動物は常に空腹であり、ほんのわすかな腐りかけた小動物の死体を争って生きており、弱くなればたちまち捕食者の餌食になるでしょう。

ゴミはカラスでも、猫でも、犬でも、人間にもあさって欲しくないと思います。ファーストフード店やコンビニエンスストアからでる大量の期限切れの食べ物も不快です(食べ物の無駄です)。

海で魚が少なくなったせいで、丘かもめをよくみかけるようになりました。こういうカモメは町で生ゴミをあさっています。そんなふうになってしまったのも人間の責任です。魚をとり過ぎた飽食の人間の責任です。自然の環境を破壊して、侵略している人間の責任です。生ゴミをあさるカラスもねずみも、自然のなくなってしまった都市に特有のものだと思います。

そういえば、捨て猫がいっぱいいた公園にホームレスもいました。彼らは生ゴミをあさっていたのかもしれませんが、私は何かしたくていつもスープや食べ物を用意して渡していました。そして、ある日気がつくとホームレスのひとが一掃されていました。ベンチというベンチに横に寝れないように鉄のバーがとりつけられ、屋根が撤去され。捨て猫もホームレスも追い払ってしまえば問題が解決するわけではないのに、公園の近所の人たちはホームレスの存在が我慢できなかったのでしょう。生ゴミをあさるホームレスも生ゴミをあさる捨て猫も、嫌われ者です。そんな世間からの嫌われ者もきちんと家があり、きちんと家族がいれば、、、。ホームレスも捨て猫もいない世の中になってほしいと願うばかりです。


>都市から野生化した動物を排除しようとする人間の行動と、「だからペットを飼うのは...」というのはこの場合は関係ないと思いますよ。


捨てられた猫や犬は数匹というレベルではありません、増えて増えて何十匹となります。そして捨てられた犬や猫は野生になって生きればいい、というのはどうでしょうか。例えばうちの両親のところに犬を引き取ってほしい訪ねてきたとなりの奥さんの例ですが、もしうちが断ったとして、他に引き取り手がいなかったとして。じゃあ、山に連れて行って、さあ、野生にもどれと離す。でも例えばうちのベルは山で生きられたとは思えません。きっと人間のすみかにもどってきて生ゴミをあさって、おこぼれをもらい、車に飛ばされたり、壊れた自転車にひっかかったり、結局人間につかまって保健所で始末されると思います。一匹でもそんな悲しい境遇の犬がいてほしくないのです。野生の動物達は野生で生まれてきていて、ペットの動物とは違うと思うのです。ペットとしてかわいいうちは可愛がり、いらなくなったらさあ野生にもどれ、というのは無理な話だと思います。

公園にいる猫をみんなつかまえて、去勢させる、ことが第一歩だったのですが、あまりの数の多さ、次々生まれてくる子猫達のせいで、手に負えない状況でした。なんとかしてあげたかった。せめて全部去勢して、これ以上数がふえなければ殺さずにすむのではないかと思ったのに。でもみんな一気に殺されました。あの白も、ぶちも、三毛も、いっしょくたに。ペットとして大量生産され、捨てられた結果です。だからペット反対なのです。ペット反対なのは目の前でたくさんの捨て猫たちが一生懸命生きているのに、いじめられ、嫌われ、そして殺されたからです。

「都市から野生化した動物を排除しようとする人間の行動」とはつまり野生化したペットを何十匹も何十匹も始末するということ、これはペットを飼うということの責任が理解されていなかったために起こったことであり多いに関係あると思います。ペットを飼う人間はこんな陰で殺される大量の捨て猫たちのことを知っておく必要があると思います。

>ninotikasanは都市の野良猫や野良犬を否定せんがために、自然の生き物の生活を美化しすぎていませんか?都会で野生化した動物であろうと、大自然で生まれ育った動物であろうと、それぞれの環境の中で、幸福や不幸を経験しながら生きているのだと思います。単純に都会の人間の価値観だけで比較する事はできないと思うのですが。

都会のなかで、少数の例外を除いて、どこにも野生化したペットが住む場所はないのです。私も公園の猫たちには野生化でもして生き残って欲しかった。でもみんな最終的には始末されるのです。ここで強調したいのは「ペットは野生化して幸せに生きていく」といって捨ててしまうということだけは絶対にあってはならないと思うのです。 自然には浄化作用があります。一種の動物が増えすぎてしまったりすることなく、うまく均衡が保たれているのに、人間が手を加えることにより、バランスが崩れるのだと思います。

>犬は野良になっても、街中にいるかぎり人間から逃げなものがいるようですが、猫はたちまち人間によりつかなくなります。この違いは、知能の差か、持って生まれた本能の差か、あるいは人間に飼われる様になった歴史の差(縄文時代以前から、犬は人間に飼われていたそうです)かもしれませんね。しかしそういう犬も、山や林など、人のいないところで長く生活すれば、人間を避け、弱い人間がいれば隙を見て群れで襲うようになります。そういうのを野犬の群れというのでしたよね。

人間に捨てられたこういう野犬の群れなどが自然の均衡をこわし、農家のにわとりを襲ったり狂犬病を流行らせたりするのでしょう。


>ニュースに出たブリードの話しは極端な例でしょう。(だからメディアでも取り上げられた?)このような例外的な話しを一般化して、いまじゃみんなこんなふうにやってるよと言われる訳ではないですよね。こういう事は業者を規制する法律を作って警察が取り締まれば良い話で、「だからペットを」というのは本末転倒ではないでしょうか。

氷山の一角の可能性もあります。極端な例があればそれより少しだけましな例、そしてそれより少しだけましな例、、、でも存在することは確かです。少数なのか少数でないのか、というよりも、一匹でも嫌なのです。

ペット反対の理由は捨て猫捨て犬以外にもいろいろあります。自分の経験を通してです。飼われているペットも、人に噛み付いたからといってたたかれ、旅行にいくからといって預けられ、汚いからといって外につながれて、人間の犠牲になっているのです。東京の家の近所のおばさんはいつも猫に首輪をつけ、犬のようにつなぎ、一日一回散歩させていました。逃げたら困るし、どこかでふんをしたら近所の迷惑になるし、と言っていました。おばさんの心配はわかる。おばさん、猫が好きなのはわかる。でも猫は。そんなずっとつながれた猫のことを思うと。ペット達は多かれ少なかれ人間の勝手に合わされているんだろうなあと。

ペットを愛する気持ちはわかる。ペットが人間の癒しになることも。でも「はた」から見ると、そんな飼い方をしていいのかって疑問をもつようなことが多い。だから人間の勝手につきあわされるペット達がこれ以上増えない事を願って。私自身の経験を通して、人間の勝手につきあわされたベルにごめんなさいの気持ちで、私はペット反対します。
by ninotika | 2004-12-09 18:54 | THINKING


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