医療関係者への謝礼
医療関係者への謝礼

ここは読んだそばからあんまりびっくりして、でも本気な気がして、考えさせられるウエブだった







医療従事者、「お礼をされる」そういう職業なんだろう

同期、上司、後輩、関係なく自分の目からみても、「いい先生」はいつもプレゼントをもらっていたので、謝礼は「いい先生」のひとつのバロメーターのように、そういえば、思っていたような気がする

研修医時代は私立の病院だったから都立、国立病院のように謝礼禁止の張り紙がしてあったり、みつかったら罰せられるというようなこともあんまりなかったのであげる側ももらう側も比較的おおっぴらだったかもしれない

尊敬していた「いい先生」だった上司は、もらった分頑張ればいいんだ、もらった分しっかり責任を感じればいいんだ、あげたいという気持ちをくんであげることで、お礼ができるじゃないか、というそんなスタンスだったので、食べ物などのもらったものはみんなで「喜びを分かち合った」。お金だった場合はその上司をトップとしていた班費になって、みんなで飲みにいったり、学会先での(少し豪華な)食費になったりした。自分がもらえば嬉しかったし、自分の班の誰かがもらえば嬉しかった。研修医の少ない給料のなかで、唯一「医者らしい」報酬のようでもあった。頑張っているご褒美だった。

同期の研修医達の間でもよくそんな話になったりしていた。
特に特別室という入院時に超追加料金加算されるようなベッドに入院してくる「お金持ち」の担当医がけっこうな金額の謝礼を受け取っているような話なんか、ざら、だった。そんな場合はお礼として最後に渡されるというより、最初に渡されるような場合が多く、「プレッシャーなんだよね〜」なんてひそひそ話したりしていた。最終的には最初に渡されるお金より最後に渡されるお金のほうがいい、という結論にみんな納得していたりした。でもそんなふうにもらったお金はどこかにいつのまにか消えていて、もちろん、何に使ったかなんて話す必要はないんだけれども。お金を渡した方も、何に使いましたかなんて口が裂けてもきけないだろうけど、今思うとせめて解剖学書が購入されたり、よく切れるハサミが購入されたなんて話だったらもっとヨカッたのにね、って思ったりしている。

それに自分の家族が病院のお世話になったときも、お礼は必ずしていた。そんなものだと、思っていたから。そんなもん、て自分がもらっている以上、っていうことだったのか、誰もがあげているっていうことだったのか、多分両方。

***

そんな現場から離れて3年。
医者への謝礼、は必要ない、と今は思う。

もし感謝の気持ちがあるのなら医局に「寄付」すればいい。
イギリスに来て、たまたま病院内発行の病院新聞のようなところに、私のいまの上司の写真がのった。患者さんのひとりがこの上司宛に寄付をしたらしい。決して大きな額面ではないのに。でも、この上司も、患者さんも、誇りをもって写真に写っていた。誰にとがめられることなく、後ろめたいこともなく、隠れることなく、堂々と、拍手をされながら。

今の時期ならクリスマスカードはどうだろう。お歳暮なんかいらない。クリスマスカードでいいと思う。ナースステーションの壁にはいたるところ送られたきたたくさんのクリスマスカードが飾られていて、それがデコレーションになっていた。感謝の気持ちが込められたカードの山のなかで働いているだけで、いい気持ちだと思う。

率直でシンプル、それでいいんだと思う。それで伝わると思う。

イギリスと日本の違いはもちろんあるけれど。
イギリスでは専門医は自分では選べない(専門医はかかりつけ医からの紹介を通すので、いきなり患者が専門医にコンタクトをとることができない)そして無料。「医療は平等に、」という理想論があるので、患者さん側からしても「謝礼」を払ってよりいい先生にみてもらおうとかよりいい医療を受けようとかそういう模索は(このシステムのなかでは)一切頭に浮かばないような気がする。

もし、特別に扱われたい、いくらでも払ってもいいから、少しでもいい治療を受けたいっていう気持ちがあればプライベートで全額自費でかかる。多くの「お金持ち」は「有名な」専門医にかかることができるというシステム。お金さえ払えばほとんどなんでも可能な世の中では仕方ないかもしれないけれど、これがいいシステムとはいわないけれど、でもそういう差がもうけられているので、特別教授直々の手術だからといって患者さんが別枠で「謝礼」などをする必要はまったくないことになる。このプライベートのシステムではお金を払えばよりいい治療が受けられるのかどうかは疑問だとしても、よりスピーディーな、より快適な、より細部に行き届いたケアが受けられる

中国からきた友人は、病院にいくと医師ランク付けのようなものがあって医師1年目に払う医療費と医師10年目に払う医療費に差がつけられているといっていた。あんまりせっぱつまっていない風邪のような時は最低の医療費ですませて、逆に切羽詰まっている時は差額を払って教授クラスに見てもらったりすることができると話してくれた。

こんなシステムだったら、暗黙の「謝礼」というもので、医師や治療を選ぼうとする試みがされなくなるのかもしれない。

***


白衣のポケットに無理矢理封筒をねじ込むのは感謝の気持ちを表すのに適しているだろうか。どこかでこっそり自分だけ(自分の家族だけ)なんとか恩恵を預かろうとする気持ちがないだろうか。お金を積めば積むほどいい治療が受けられると勘違いしているか、またはみんながお金をこっそり渡しているのに、自分だけ渡していなかったらとんでもないことになるのではないかと不安なのではないだろうか。

医師の超過勤務、過労状態をなんとかできないだろうか。疲れている顔を見せる担当医に、せめて、と思ってしまう患者さんも多いと思う。医療従事者がどこかで奉仕の気持ち/自己犠牲を余儀なくされていて、仕事と給料のバランスがとれているとはいえないような現実。途上国に旅行すると「チップ」または「サービスチャージ」のようなエクストラを払わなくてはいけないようなプレッシャーを感じるのと似ているのだろうか。

いい医者、経験のある医者はもっといい給料がもらえるようなシステムは作れないのだろうか。研修医にかかるのも講師/教授クラスにかかるのも一緒では、ベテランになるほどやる気が失せてくるのも当たり前かもしれない。どこかで誰かが差をつけるるべきなのかもしれない、今は患者さんの手にそれがゆだねられてしまっているだけなのかも。

「プレゼントをもらって嫌な顔をする人は誰もいない」というのは事実だと思う。プレゼントが社会の潤滑油になっているだろうことも。それは風土なんだろう。想像されるとうり、イギリスでドクターにお金を渡したりしたらプライドを傷つけることになりまったく逆効果になるのは、お国柄の違いで、文化の違いで、どうのこうの理論攻めできるものではないのかもしれない。けれどそんな日本人らしい白黒つけない微妙な心付けは世の中の不偏ではなく、一般的には理解され難いように思う。

***

人間と人間の関係は、決してお金では買えない。そんなことに頼るよりも信頼関係を築き上げていく方が大切だと思う。だからお金でなんとかしようとしないで、時間をかけて、よく話し合って、きちんと勝負してくれる患者さんが増えてくれればいいなあ。そしてお金をもらわないと一生懸命やってられない医師達は少し長めの休みをとって充電するといいのではないかと思う、そうウエブを作った先生も休んでみて下さい。少し休んでみると分かる。自分を信頼してくれる患者さんを必要としているのは、自分だということ。
[PR]
by ninotika | 2004-12-25 18:28 | WORKING


<< ホワイトクリスマス 山が白くなりました >>