日本に帰る飛行機のなかで、セカチュー(映画板)を見たはなし
(うわ、すごい時間差です)
かわいらしくて悲しくて泣いてしまったけれど
あのくらいの年齢の男の子と女の子がいて
美人で才能のありそうな亜紀がはじめっからかっこいいとはいえないサクのことを
なんであんなに「はっきりと自信をもって」「好き」だったのか
行きの飛行機ではなんとなくわからなかったのです
サクが亜紀のことを好きなのはなんていうか明らかなんだけど
そしてサクのとまどいやその後の変化もよくわかるんだけど
いまさらだけど
インターネットの使えなかった土日に考えてみました
*
愛というものってどこかにその一部に
切り離せない悲しみとか嫉妬とか苦しみとかの陰があって
その陰に気づくまで愛というものにも気づかないのかもしれない
陰を見て苦しみを見て
はじめて愛に気づくということがあるのかもしれない
亜紀はもしかしたら無意識のうちに、
自分の人生に陰がひたひたとせまってくることを知っていて
だからこそ迷いもなくサクを「愛」せたのかなあと
サクはあとで苦しみのなかで亜紀を「愛」してることを自覚するのだけど
あの若さでそれをいやおうなくいろんな「死」をとおして「知らされる」ということと
前半の無邪気さやそして青い空が一瞬のうちに雨の色に変わるところが
セカチューが売れた原因なのかもしれませんね
時間が途方も無くたくさんあって
悲しみや嫉妬や苦しみのような人生の陰をみることがなければ
愛というのもあえて分からない/意識しないのかもしれない
自分の人生に限りがあることを知って
ひととの出会いは限りなくあるわけではなくて
前世も来世もなくて今しかないことが分かると
老いも若きも関係なく愛を理解するのかもしれないと
それは例えば病気になってはじめて生について考えるというのと
根本は似ているのかもしれません