ルワンダのgenocide(ジェノサイド)
ジェノサイドgenocideという意味はsuicide(自殺)から考えればgeno、つまり民族、その民族に属する全てのひとを大量虐殺するという意味で、ヒトラーがユダヤ人という民族をすべて虐殺しようとしたことが一番分かりやすいかもしれません

ここルワンダのジェノサイド博物館に行くと、まず、この建物の周りに作られたいくつもの巨大な巨大なお墓が目に入ります、200.000人にも達する人が埋蔵されていて、ガイドさんの話によると、今でも川岸などで虐殺された白骨が見つかり、このお墓に埋められるのだそうです

中に入ると、順序立ててこのジェノサイドが起こるまでの話を写真やビデオなどとても分かりやすく、そして、ある意味、かなりショッキングに説明されています
覚えていることと、ホテルルワンダのHistoryページから抜粋を合わせて簡単に書きます



第一次世界大戦後ルワンダはベルギーの植民地になる

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ベルギーはそれまでルワンダには存在していなかったのに、主に「ツチ族」「フツ族」という2種類の民族を容姿の差から分類し、IDカードを発行する。
IDカードにはフツ族ツチ族と明記されており、ヨーロッパ人に近い容姿のツチ族を経済的にも教育的にも優遇。

*ここから「ツチ族」「フツ族」の人種差別の考えがうまれたのです、ルワンダの民族間の争いは何百もの部族がもともと長い間存在するアフリカ諸国と違って、これはベルギーによって”作られた”人種差別なのです

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時代の流れで(国連)、植民地は独立をうながされ、ルワンダはベルギーから独立するが、その際にベルギーに優遇されていたツチ族が政権を失い、フツ族が政権をにぎる。


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フツ族のハビャリマナ将軍が1973年に軍事クーデターを起こして大統領に就任

*民主的に選ばれた大統領でないわけです だからこの将軍のもとでルワンダに腐敗がはびこった

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1990年、ルワンダ国外に亡命していた主にツチ族中心のグループがルワンダ愛国戦線(RPF)を結成、ウガンダ側からルワンダに侵攻して内戦が勃発

*最終的にこのRPFがジェノサイドを鎮圧させ、現在のルワンダ政府はRPFのメンバーが大統領になっています

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ハビャリマナ大統領RPFと和平への話し合いを始めるが、1994年4月6日、ハビャリマナ大統領を乗せた飛行機は撃墜される

*この暗殺は誰によるものだったかいまだにわからないそうですが、和平の話し合いをはじめた大統領のことをよく思わなかったフツ族によるものだったという説が有力

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同夜、あらかじめ計画されていたとうり

*それまでにもフツ族の政府は新聞などにいかにツチ族が無能であるか、e.g. 「ツチ族はごきぶりだ」、などどかき立てて市民の嫌悪感を長年にわたって煽ってきていた様子、新聞なども掲示されてありました

政権内のツチ族(および穏健派フツ族、あまり過激でない普通のフツ族)の高官たちの処刑が始まる。

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フツ族が国中でツチ族の殺戮を開始。3ヶ月もの間、阻むものがいない虐殺行為はルワンダ全土に恐ろしい勢いで広がっていった。

*恐ろしいのはツチ族を殺戮したのはフツ族の兵士だけでなかった、一般市民が一般市民を虐殺したことなんです 一般市民ですから武器は棒であるとか鈍器のことが多く、死ぬまで叩かれたり、繰り返しレイプされた挙げ句に殺されたり、自分の子供を殺せ、と命令されたり、ありとあらゆる拷問のような状況だったのだそうです 女性、子供も容赦なく殺された、というよりツチ族の子孫を残さないようにという目的でむしろターゲットになったようです
また普通のフツ族で、ツチ族を殺すのを止めようとしたり反対したりかくまったりするものもすべて殺されたのだそうです
ツチ族が逃げないように道路を閉鎖し、道に数えきれないほどの死体が転がっている写真があり、ショッキングでした
これほどまでに人間は悪になり得るのでしょうか、ビデオで生き残ったツチ族の女性が
世界の90%の人間が悪魔になったようだったと言っていました

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赤十字の概算では100万人が殺害されたにもかかわらず、国連は平和維持軍を2500人から270人に減らしてしまう。

*この3ヶ月に及んだ虐殺の間、国連は何にもしなかった。また、アフリカの、単なる部族間の小さな戦争だと、耳を貸さなかった、のだそうです。度重なる警告も無視。

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RPFが首都キガリを制圧したことで、1994年7月に大虐殺は終わりを告げた
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by ninotika | 2006-10-20 22:40 | TRAVELLING


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