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ベジタリアン・・・
生きていくと言うこと。からトラバです、Kanaさん、蒸し返しですみません。

今年はピスケリアン<ベジタリアンの道をもう少し進みたいというのが目標です

Kanaさんのところのポスティングを見てからしばらく考えてたのですが
私、夫を含め、数人のベジ友人たちのベジである理由にこの「かわいそう」という感覚があるのは確かです


動物は食べるために殺されたものは命を失います

その「殺生」の感覚は、動物に当てはまっても植物にはあてはまらない、だから仏教では「生もの」を食べないのでしょう

お坊さんをはじめとして、そういうきちんとした線引きができるひとは私は「えらい人」だと思います 語弊があるかもしれませんが少なくとも私にとっては「ベジタリアン」というとどこかに尊敬できる「えらいなあ」という感覚があるのです 

諸外国ではひと昔前はベジタリアンはワーキンググラスにはいなかったのです、ミドルクラス的な「進んだ意識」をもつひとたちに多かったのですよね、だからクラス意識もあるといえばあるのかもしれません 日本ではお坊さんは「一般市民」と区別された「えらいひと」でなくてはいけなかったはず もちろんお坊さんがベジタリアンだから尊敬されたわけではありませんが、そういう高尚な感じが「ベジタリアン」には漂うのだと思います

「高尚」な思いで「ベジタリアン」になったひとのなかには「ノンベジタリアン」と区別されたい思い、または区別している視線があって「ノンベジタリアン」にとっては理解し難いですよね、でもそれは本意ではないと思います


私はベジタリアンではありませんが、なりたいと思ってます

植物はフルーツ/ナッツであれば、誰かに(他の鳥や動物に)食べてもらうことを望んで作られたもの、葉を切り取っても、根っこさえ残っていればまた再生してきます、実からこぼれたタネをまけば芽が生えてくるし、挿し木をして新しい木が生まれてくることもあります 

ハーブなどを育ててみると感じるのですが、植物を食べて、その植物を「殺した」という感覚にならないのはそのせいだと思います 

ラムを食べればその子羊が大人になることもなく、子孫を残す事なく、ただ食肉のためだけに殺されたのかと思うと、りんご10個食べるのと比較にならない犠牲の大きさに悩むわけです

個人のレベルではほど遠いかもしれませんが、ベジタリアンは地球にやさしいことも付け加えておきます、肉牛の食べる穀物の量も、排出するCO2も、ばかになりません

水と土さえあれば(基本的には)育つ植物と、一匹一匹育てなくてはいけない動物ではその手間も違います 肉牛を育てる穀物をまわせば世界中の飢えが救えると言われています

肉/魚に含まれる抗生物質も問題になっています

もうひとつ、ベジタリアンとノンベジタリアンを比較した統計では癌の発生率が有意差ありでベジタリアンに低いという結果もでています

肉はどうやら完全あきらめられましたが、魚にまだ未練ありで、
お友達が来たり、外食時などなど、、難しいんですけどね、、
現在、魚の日は約1回/2週間です。
by ninotika | 2005-01-12 23:06 | COOKING


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